7月下旬から米国で公開されたある映画が話題を呼んでいる。「オッペンハイマー」――。「原爆の父」とも呼ばれる物理学者ロバート・オッペンハイマーの伝記映画だ。米国では好評を博すが、米デュポール大学(シカゴ)の宮本ゆき教授(倫理学)は強い憤りと違和感を抱いているという。米国でも、そして福島でも、核(原子力)を語るときに「置き去りにされているもの」を考える。
広島県出身の被爆2世でもある宮本さんは、米国の大学で20年近くにわたり、倫理学の講義で「原爆論説」を教えてきた。
米国では今も、広島と長崎への原爆投下を肯定する考えが根強い。学生たちも「原爆で戦争が早く終わった。米国人や日本人の命が救われた」などと教わってきているという。
一方で、原爆の被害については、ほとんど知られていないのが実情だ。「原爆が爆発したらどうなるか、人にどのような影響があるか、そこがすぽーんと抜けてしまっているんです」
「オッペンハイマー」には、そんな米国の原爆観と似たものを感じとった。科学者が抱える苦悩は描かれるが、人の被害についての描写はほとんどないのだ。
「女性の皮膚がめくれるシーンがありますが、きれいなんです。皮膚がめくれて赤みが出るとかではなくて、うっすらはがれるんです。これが、米国の多数が不愉快にならない、ギリギリの線なのかなという感じを受けました」
映画は米国内では好評価を得ており、原作もベストセラーになっている。同日公開の映画「バービー」と2本立てで見ようという動きが起き、「バーベンハイマー」なる造語もできた。「本当に核がエンタメなんです。スパイダーマンやハルクなどスーパーヒーローも、放射能を取り込むことで強くなりますよね」
そこには1940年代後半から続く、「核(原子力)は偉大だが、手なずけられる力」という考え方がにじんでいると、宮本さんはみる。核は人の手でコントロールができるが、扱う人間によって善にも悪にもなる、ということだ。
「核を取り合うというシーンはハリウッド映画でもよく登場します。自分たちが持つのはいいけど、悪いやつの手に渡るのはいけないから取り返そうっていう、それなんです」
語られぬ核「被害」 核抑止論に「恩義」
こうした核への見方が広がる社会の中、見過ごされてきたのが被曝被害だと、宮本さんは強調する。
そこには政治的な意図も絡む…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル